農業を通して大自然から気づかされたこと

富良野支所(北海道) 山本和弘

 北海道富良野で農業を始めた20年前と現在とは、気候も違えば作物も変化しています。例えば、この温暖化によって、新潟のコシヒカリに並ぶ、「北海道米」が一等米として評価される時代が来るとは思いもしませんでした。
 富良野はワイン葡萄の産地ですが、ドイツ種が主流だった品種が、最近ではフランス種ピノ・ノワールも栽培される様になり評価もされ始めました。本州や海外の業者が、北海道内の農地を買い求め、何箇所もワイナリーや果樹園ができています。これは、本州で今までの作物や果物が今後出来なくなるという危機感の表れでもあります。毎年、大きな気候変動に見舞われることは実感として現れ、そして食糧危機を警戒し、世界中から北海道の地を求めてくるのは致し方ないのかもしれません。そんな環境の変化は、農家にとっても営む上で重要です。
 共済農場は、大自然に添いながら、できる限り農薬を減らし、化学肥料の低減、また必要最低限の天然物の有機肥料を使ったオーガニック認証の圃場、一部では肥料や堆肥も一切使わず、自然循環を意識した「自然農法」の畑もあります。何でそんなことをするのか。これは、他の農家を否定するつもりは全くありませんが、自然を観るに「循環」という理があることを知り、それがヒトの体に、また環境にも良いと考えるからです。さらに、農薬・除草剤を使い続けるのは、土に負担をかけるだけでなく、団粒構造ができなくなり、さらに土中に水を確保することができず、微生物をも殺し、農地が砂漠化するのです。
 自然界では、落ちた葉や朽ちた木を食べたミミズや虫を小動物が食べ糞をし、それを分解する微生物や小動物が現れ、やがて餌が無くなるとその生存率も低くなり、その内また季節が来て落ち葉がおち…と森の中ではずっと繰り返され、その中で病気にならず植物が育まれています。そんな循環があるのです。
 樹々も草も小動物も微生物も、生きては死に、死んでは生まれてこの世界は成り立って行きます。環境が変われば、それに合った動物や植物が現れて担って行きます。海もそうです。私はこう考えます。地球や自然が変わったのでは無いと。自然には理があり、その変化が流れて行くだけなのだと。管理者が人間とするならば、やはりそれは人間の所業です。
 自然の中で生きる人間が、どういう性質があってどうあるべきなのか。正しくを知り、考え実行しなければいけません。農家も、もう一度振り返る必要があります。
 そのために、「人間性」の復活が必要なのだと思います。

新しいコミュニケーション様式の中で ─話に耳を傾けることの大切さ─

一般社団法人 人間性復活運動本部 理事  藤居 創

 新型コロナウイルス感染症拡大による外出自粛を機に、この1年でウェブ会議が急速に普及した。ウェブ会議では、資料や相手の顔がパソコンやタブレットの画面上に映し出され、それを見ながら自分のマイクとスピーカの音声で話し合いを行う形態が一般的となる。ウェブ会議の特性上、相手の発話が自分の手元のスピーカから出音されるまで、0.2秒~0.5秒程度の遅延があるため、相手が話し始めたことに気づかず自分も話し始めてしまうことがある。
 二人が同時に話し始めてしまった場合、下記の3つのいずれかのケースとなる。まずは、双方ともそれに気付き、「すみません、どうぞ」と譲り合うパターンである。しかしまれに、一方は気付いて話し始めるのを中断するが、もう一方はそれに気付かず話し続ける場合もある。そういった場合は、他の気付いた人が後で「先程話かけたのはどんな内容ですか?」と発言を促す事が多い。
 最も残念なのは、双方とも自分の話を継続するパターンである。
 相手が話し始めたことに気付かずに自分の話を継続する、もしくは気付いているが話を継続する人が複数人いる会議は悲惨なことになる。強引に割り込まなければ自分の発言の機会が訪れないため、発言したい人は他の人の発言の最中に自分の発言を始める。それが全体に波及し、相手の話を一切聞かない各々の主張合戦が繰り広げられる。こうなると建設的な議論は行われず、収拾がつかなくなり会議が成立しなくなる。
 一方で、発言を譲り合う会議は円滑に議論が進む。相手の話を聞こうという姿勢が全体に伝わり、皆の信頼関係の下で落ち着いて話し合いが進み、何かしらの結論へと達することができる。
 普段のコミュニケーションでは許容されるような少しの意見の主張が、ウェブ会議では主張の連鎖を生み、容易に会議の崩壊を招くことがある。もし、他人の話を聞かずに自分の主張を押し通そうという考えがあれば、それが色濃く映し出されてしまう。
 相手の雰囲気が分かりにくいウェブ会議だからこそ、いつも以上に注意深く相手の話に耳を傾けることが必要となる。常の自分が映し出されてしまうからこそ、気遣いや心配りができる自分を作り上げていくことの大切さを改めて実感する。どのような場面においても、自分の意見に固執せず、穏やかに人の話を聞くことができる人間でありたいと思う。